カテゴリー

無料ブログはココログ

2018年3月12日 (月)

土器焼成

Bimg_0467

2月に製作した土器や、その後追加で製作した土器を、3月10日(土)に焼成しました。

焼成方法は覆い野焼き。

燃料となる薪を地面に置き、その上に土器を設置。

その上に稲わらを立てて、わらの上を土で覆い簡易な窯のようなものを作ります。

土器の量にあわせて3箇所で焼成を行いました。

Bimg_0455
Bimg_0456
Bimg_0457

Bimg_0470
Bimg_0462
3カ所の内1か所は、点火後3時間程度で煙が収まってきましたので、空けて土器を取り出しました。

 

結果は…、多くの土器の表面が破裂していて、中には破損して穴が空いたようになったものも。

Bimg_0490

Bimg_0503

 

温度の上昇が急激であったため、土器全体に熱が回る前に器表面のみが焼成状態となって破裂したものと思われます。

 

無理に炎を回さずに、また燃料ももう少し減らしても良かったのかもしれません。

 

破裂した破片は拾って帰りましたので、接合したいと思います。

2018年2月17日 (土)

土器・土製品づくり

県内の遺跡の利活用に関わる団体が毎年集まって、意見交換や各地の取り組みを勉強する交流会を開催しているのですが、今年は3月に宇和で行われることとなっています。

笠置峠古墳などの維持管理や活用に関わる笠置文化保存会では、笠置峠古墳で行われた葬送儀礼を復元しようと考えています。

発掘調査報告書や下條信行先生を招いての勉強会では、古墳に葬られる王の死後、次のような喪葬儀礼の流れがあると考えられそうです。

つまり、1.王の死⇒2.殯(もがり)⇒3.納棺の儀⇒4.鎮魂の儀 となります。

3月の交流会では、このうちの4.鎮魂の儀を復元する予定です。

                                                       

この儀礼では、直口壺(飲物を容れる器)と高坏(食物を盛る器)、食物型土製品(高坏に盛る食物を象ったもの)、二重口縁壺が使われています。

今回、この土器の復元を目指してみようと、2月4日に石城公民館で土器・土製品づくりを行いました。

 

Bimg_0248
土器づくりに先立ち、下條先生から、古墳のどこでどういう儀礼があり、そこでどのような土器が使われたのかをお話しいただきました。

Bimg_0258

お昼休みを挟んで、落花生の美味しい千葉県八街市からお越しいただいた戸村正己さん(創作空間 縄文の丘)から、土器製作の基本のお話と、笠置峠古墳出土の土器がどのように製作されているのかについて解説いただきました。

戸村さんには、昨年度、笠置峠古墳出土土器の復元をお願いしたことがあり、出土土器についても十分に観察していただいています。

また、今回の土器づくりにあたっても、採取した粘土が使えるかどうか予め確認していただきました。

こうやって作れば、同じように作れるという方法を伝授していただきました。

                                                      

Bimg_0266
また、製作前には実演していただきました。

実演を見てると、なんだか自分にもできそうだと思うから不思議です。

しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。

Bimg_0285
壷をつくる場合、まず、粘土を団子状に丸めてこれをつぶし、円盤を作ります。

次にひも状に伸ばした粘土を円盤に積み上げ、接合部分を消していきます。

同じように粘土ひもを積み上げていくのですが、数段積み上がった時点で、今回使用した粘土の場合、ある程度乾燥させる必要があります。

そうしないと、自重でつぶれて器の形が安定しないからです。

本来球形に作るべき胴部(上写真左の土器が、戸村さん作成の複製品)が下ぶくれ状になってしまう参加者が続出。

難しい!という声が各テーブルから聞こえてきました。

Bimg_0292
各テーブルごとに、直口壺と高坏を分けて作ってほしいとお願いしていましたが、高坏はどうにか形になるものの、壺をうまく作った人は皆無だったのではないでしょうか。

ちなみに私が作った高坏は次の写真。                                                                                     

笠置の高坏は、脚部の内面に粘土の積み上げ痕が顕著に残るのが特徴で、シボリ痕(縦に筋状に入った線)も見えます。

私の場合、恐る恐る絞ったため、シボリ痕が弱くしか入りませんでした。

ということは、本来もう少し径を太く作るべきだったということです。                               

形的には、なんとなくそれらしくできていますが、指で押さえた痕跡が見た目にもわかるほどで、十分にナデ消しておらず、調整と呼ばれる器表面の仕上げが不十分であることは明らかです。

坏部の口縁も凸凹で、古墳上に奉げるのははばかられます。

Bimg_0288
ともあれ、宇和盆地の粘土は非常に良いものという戸村さんからの言葉があり、材料には事欠かいないことはよくわかりましたし、作り方もわかってきました。

あとは、修行次第ですが、土器づくりに使う道具類もそろえていく必要があります。

古墳時代当時、王の死後、こんなふうに村の中で、儀礼に作る土器を作っていた人たちがいたかもしれません。

少しでも追いつけるように、土器づくりにも取り組んでみたいと思います。

                                                      

Bimg_0295  

寒波

1/8(木)の朝、テレビのデータ放送ではこれまでの最低気温が-7℃と出ていてびっくりしました。

車のエンジンをかけてみると、朝7:30の時点で-9℃で二度びっくり。

職場のPCを立ち上げると、アメダスで‐9.6℃との情報で三度びっくり。

夕方には、報道で-12℃という数字も出てきて、結果的にはこの日が-12℃、翌日未明には-11℃という気温が一般的なものとなっているようです。

                                                       

もとより宇和盆地は標高が200mあること、盆地地形であること、関門海峡を抜けた雪雲がぶつかることなどから、県南部とはいえ毎年降雪があることで知られています。

とはいえ、今回の寒さは異常で、窓のサッシの室内側に白い霜状(露が凍ったのでしょう)のものが付着するなど見たことがありません。

職場を見渡してみても、各家庭に1台はスタッドレスタイヤを装着する車があるとか四駆の車があるなど雪への意識は比較的高い方だと思いますが、いわゆる温暖化の影響や気密性・断熱性の高い住宅の普及もあってか、今回のような厳しい寒さへの備えは必ずしも十分でないのかもしれません。

                                                       

事実、今回の寒波では水道管の凍結による破損・破裂などが主な原因となって、貯水池・配水池の推移が減少し、一時、市内の3千世帯以上で断水のような状態になりました。

我々教育委員会の職員も、対策本部の電話対応、市役所や中川・石城・田之筋公民館などに設置された給水所の対応、各家庭を訪問し漏水がないかの確認調査に従事しました。

 

20、30年に一度のことかもしれませんが、水が市民生活にとって必要不可欠で大きな影響を及ぼすことを多くの市民が実感しました。

今後どのような対策を講じていくのか十分に検討する必要はあるのですが、昔ながらに山から水を引いているところが実はこういう時には強かったというような事実もあります。

漏水調査で訪問したあるご家庭では、目の前のため池(江戸時代以来の農業用水用のため池)にたくさん水はあるんだけどねという言葉も示唆的に思えます。

色々な選択肢を持てるような対策を検討することも必要かなと感じた次第です。

 

最後ですが、県内の自治体からの給水車の支援、専門的職員の皆さんによる漏水調査への協力などが非常にありがたく感じました。

この場をお借りしてお礼を申し上げます。

2018年1月25日 (木)

愛大考古学研究室公開シンポ

Bimg_0160

Bimg_0168

Bimg_0161

1月20日(土)、愛媛大学にて第15回愛媛大学考古学研究室公開シンポジウムが開催されました。

テーマは「笠置峠古墳と妙見山古墳」で、愛媛大学ミュージアムで開催されている同名の展示と併せての開催です。

主催者によると、当日は120名の参加者があり、シンポでの講演とミュージアムの展示をご覧いただきました。

当日参加した笠置文化保存会の皆さんも興味深く話を聞き、展示をご覧になっていました。

ミュージアムでの展示は2月19日まで(見学無料)。

笠置峠古墳の出土資料も展示されています。

ぜひご覧ください。

Bimg_0125

Bimg_0170

Bimg_0172

Bimg_0178

2018年1月12日 (金)

【雪】狩浜の雪景色

Bimg_0016

1月10日未明から降り続く雪によって、宇和盆地、野村・城川盆地のみならず、温暖な海岸部にも積雪をもたらしました。

 

文化的景観の調査を進める狩浜地区でもこの状況(クリックで拡大します)。                       

                                                        

雪景色は美しく、ここでは大変珍しいのですが、農作物への被害が心配されます。

2018年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます。

謹しんで新年のお慶びを申し上げます

 

旧年中は大変お世話になりました

 

本年も文化財に関する取り組みご紹介しその魅力を少しでも感じていただくよう頑張っていきたいと思います

 

何卒よろしくお願い申し上げます

2017年12月31日 (日)

今年一年を振り返って

今年も残すところ本日のみ。

2017年もあっという間の1年でした。

1年の最後に、今年の取り組みなどを振り返ってみたいと思います。

長くなりますが、ひとつお付き合いを。

                                                         

◆2017年のスタートは、笠置峠の古墳の報告書作成でした。

300頁の大部で愛媛大学考古学研究室の先生方、OB・OGに執筆していただき、校正などで何度も何度も文章をチェックする日々が続きました。

おかげさまで、各所へ配布させていただいた報告書は好評でした。

発行部数が限られており、多くの方から購入の希望があったにも関わらずお応えすることができずご迷惑をおかけいたしました。

何らかの方法で、報告書をご覧いただけるように考えていきたいと思います。

                                                      

◆報告書と併せ、笠置峠古墳出土の土器・土製品の複製を、千葉県の戸村正己さんに製作していただきました。

どうしても実物資料は破片ですので、実際の大きさなどが分かりにくいという難点があります。

一方で笠置峠古墳の報告書では、墳丘上での飲食を伴う葬送儀礼が明らかにされ、土器や土製品の重要性が高まりました。

そのため複製品を製作していただき、出来るだけ多くの人に古墳の上での人間の営為を理解していただくことといたしました。

 

◆7月には、笠置峠古墳報告書刊行記念シンポジウムを開催しました。

愛媛大学下條名誉教授、村上教授、京都府与謝野町教育委員会の加藤晴彦氏と西予市教委職員で、笠置峠古墳の特徴、今後の活用方法などについて報告・議論しました。

また、新発見の前期前方後円墳についても報告させていただきました。

市役所ロビーでは、笠置峠古墳出土資料に加え、松山市朝日谷2号墳、今治市大西町妙見山古墳、広島市弘住3号墳、山陽小野田市長光寺山古墳、福岡県苅田町石塚山古墳、京都府与謝野町明石大師山A8号墳の出土資料をお借りし、展示させていただきました。

 

◆9月~11月には、今治市の大西藤山歴史資料館で「妙見山古墳と笠置峠古墳」と題した比較展を開催していただいたほか、2018(平成30)年1月17日(水)~2月19日(月)まで愛媛大学ミュージアム(松山市文京町)で展示を開催していただく予定です。

Bbskm_c55817123016470

東・中・南予すべてで笠置峠に関する展示をしていただくということで大変光栄です。

お世話になりました皆様に改めてお礼申し上げます。

 

◆少し戻って6月には笠置峠古墳の傍の笠置峠を越える峠道を国の指定にするよう文化審議会の答申があり、10月に指定となりました(指定名称「八幡浜街道笠置峠越」)。

地元の皆さんが地道に歴史を掘り起こすとともに、丁寧に守り続けて来られた成果です。

意外にも、西予市では第1号の史跡指定ということになりますが、今後とも積極的に活用を図っていきたいと思います。

10月末に予定していた駅からウォークでその魅力をさっそくお伝えしたかったところですが、台風の影響でかなわなかったのが残念。

それでも、ジオガイドの皆さんに街道も含め内容を勉強していただいているところですし、地元の公民館でのウォーキングイベントを年明けの3月に企画していただいているところで、大勢の皆さんにこの地を訪れていただきたいと思います。

市役所の同僚には、笠置峠を越えた侍によるマラソン大会が藩政期に行われていたという新聞記事を教えていただきました。

こうした新しい情報を含め、多くの方に古墳や街道や地域の魅力を新年もお伝えしていきたいと思います。

 

Bskm_c55817123018050

◆弥生時代の器を載せる器である「器台」の県指定をうけ、愛媛県歴史文化博物館で「大型器台とその時代」というテーマ展示が行われています。

当市の坪栗遺跡出土の器台なども貸し出しております。

展示は年明け2月25日まで行われていますので、ぜひご覧ください。

 

◆西予市出身の人形浄瑠璃文楽人形遣いの荻野恒利さん(芸名・吉田和生)がいわゆる人間国宝に認定されました。

市内の文楽関係者のみならず、大勢の皆さん、西予市の子どもたちに大きな夢と希望を与える出来事でした。

12月には市内で講演も行われ、文楽の魅力やむずかしさを知ることができました。

 

◆西予市明浜町狩浜の文化的景観調査も佳境を迎え、報告書の取りまとめの段階に入っています。

当課では石造物の調査を進め、近世墓の調査もさせていただきました。

今年度中には調査報告書が刊行される予定です。

2月には国の文化審議会の皆さんが現地を訪れ、色々とご意見を頂戴しました。

また6月には、徳島文理大学の清水真一先生に、地元の春日神社の建造物としての特徴やその価値についてご講演いただきました。

年末には保存計画などについて地元協議会との意見交換を行い、年明けからは議論が本格化していくことになります。

 

◆明浜と言えば、岩井の石灰窯という市内でも最古と考えられている石灰窯で試掘調査を行い、その構造の一端を確認することができました。

 

◆歴史文化講演会では、1月に秋吉台科学博物館の村上崇史さんに四国カルストとその地下に広がる洞窟について、同じく1月に関西外国語大学の佐古和枝さんには遺跡の楽しみ方を、2月には養蚕に関する歴史を西予市文化財保護審議会の岡崎直司さんと、工学院大学の二村悟さんに学び、西予市宇和町西山田の公会堂(稚蚕施設)を見学させていただきました。

3月には全日本かるた協会名誉専任読手の和家寛治さんに、かるたの魅力や歴史について学び、参加者の皆さんには実際に競技かるたにチャレンジしていただきました。

年度があけて8月には、9月から開催される国体を前に、日本相撲連盟の櫟原利明さんに「相撲の歴史」についてお話しいただきました。 

西予市野村町は相撲の盛んな町で、そもそも相撲自体が国技と呼ばれていますが、意外と知らないことがたくさんあることに気付かされました。

 

◆四国霊場第43番札所の明石寺において、愛媛県教育委員会による札所調査が引き続き進められました。

様々な面から調査が進められていて多くの成果が上がっているようです。

どのような成果が報告されるか、今から楽しみです。

 

◆12月には、ジオパークの再認定が決定しました。

事前に行われた現地審査では、審査員皆さんと意見交換させていただきました。

まだまだ課題も多く、文化財とジオの連携を深める必要があります。

 

◆これも当課担当ではないのですが、卯之町の町並みでは、防災計画にも着手するようになりました。

町並み保存という、町を面的に文化財として守る取り組みのなかで重要な事ですが、ここまで来るにはなかなか大変だったと思います。

 

◆そのほかここに書ききれない動きも色々とありましたし、今年は国体という大きなイベントもありました。

ここ数年で痛感しているのは、少子高齢化や人口減少により、地域の皆さんが文化財を守ることがなかなか大変な時代になってきたということです。

文化財の活用に向けて国の制度改正や補助の見直しなどが進められていますが、今こそ文化財をどう保護するかということも考える必要がありそうです。

一方で松野町のように遺跡の本質を活かした活用に取り組んでいるところが身近にあり、私たちも見習って、遺跡の活用などを進めていきたいと思います。

12月には民具のクリーニングや仮置きしていた施設からの移動も行いました。

市内に数多くある文化財を今後どうやって保管していくか、市内の文化施設の収容能力も限界を迎えているなか、対応が求められています。

 

◆一年間ご支援ご協力いただきました皆さん、本当にありがとうございました。

どうぞ、良いお年をお迎えください。

2017年12月30日 (土)

笠置峠の大掃除(年末すす払い)

B20171224_090709

今月24日(日)に、毎年恒例の笠置峠古墳のすす払いを、笠置文化保存会の皆さんと行ってまいりました。

墳丘の外の草刈りをメインに、女性陣はトイレや峠の茶屋の掃除。

最後に、しめ飾りを付けて新年を迎える準備は万端です。

B20171224_102003
里山ゾーンの落葉樹も順調に育っていて、年々落ち葉が増えてきました。

保存会の会員さんも、「雰囲気が良くなって来たなぁ」と感慨深げです。

里山の中に古墳を置くという目標に、少しずつですが着実に近づいています。

2017年12月25日 (月)

【続報】野村の民具

Bbimg_0938

西予市野村公会堂に仮置きされていた民具を大和田小学校で保管するため移動させました。

当課の職員、野村教育課・各公民館の職員に手伝っていただいて、午前中で移動終了。 

そのあと、少しだけ整頓して今日の作業を終えました。

今後は、整理し台帳作成が課題となります。

2017年12月19日 (火)

野村の民具

Bimg_0147

現在、野村公会堂に仮置きされている民具を公会堂の取り壊しに伴い移動させるため、内容の把握と簡単なクリーニング作業を行いました。

クリーニング作業は、まず刷毛でほこりを落とし、モノによっては水にぬらし固く絞った雑巾で拭き掃除をしました。

クリーニングすることによって墨書や刻印がはっきり見えるようになったり、木部の加工痕が見えるようになったりしました。

なかには、自分が使う道具にしっかりと名前や(おそらく)購入した日付を書き入れられているものもありました。

クリーニング後は、民具の機能や使途に応じておおまかに分類し、広げて置いてみました。

少なくとも300点以上はあるようです。

Bimg_0183                                                       
ひとまずここに仮置きし、当面は別場所にて保管したいと思います。

なんとか台帳作りを行いたいところです。

«【文化財調査】山田薬師

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30